ひとり あっとこすめ

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日本人の社会病理

この日本人の社会病理講談社文庫、山本七平(著)、小此木啓吾(著)) という本は別に社会病理に興味があって手にとったわけでもなくて、実際、書いてある内容というのも、最終的には社会病理の話になるけれど、それ以外の面白い話もたくさんでてきます。


日本ではなぜ離婚が少ないかというと、奥さんが財布を握ってるからです。

これはすごくさらっと書いてあったのだけれど、私にはとても実感にあう話で、最近離婚が増えたのはこの辺が大きく影響しているような気がするのです。別に家族の個別の事情を無視して介入すべきだとは思わないけれど、ある意味健全な消費生活というのはこの辺に原点があるような気がして、日本が活気付いていくためには、ある程度必要なことなのではないかとも思うのです。ただ、前置きしたように、家族内役割が必ずしも昔とは同じではない現状で、むやみに同じことをするように介入しても仕方ないとは思いますが。

日本の国会というのは、なにを質問するか全部事前にわかっているんですよね。あしたの質問はこうですと、全部わかっているんです。次に担当の官僚のところへ行って、模範答案ができていて、それを答えているだけでしょう。だから初めからやっている同士というのは、裏で全部リハーサルをやっているわけです。日本の社会は、これができなければ政治家ではない。ですから、これは完全にベーシック・アザンプションの世界ですね。そこであらかじめ予定してない質問をすると、「爆弾質問」とかいうことになるわけです(笑)。そういうことをやるとルール違反みたいになっちゃう。いいかえれば、人が犬にかみついたようにニュースになるんです。

最近のニュースがベーシックアサンプションの無視について報道されているとすれば、結局人を殺さないということぐらいしか、今の世の中にはベーシックアサンプションがないのだろうか、と考えてしまいました。あとは、偽装とか、ベーシックアサンプションの崩壊にまつわることのニュースも多い気がします。もう少し明るいルール違反を増やしたいところです。
そして、別の側面としては、昔よりベーシックアサンプションが減るということは、何がニュースなのか分からないというか、みんながニュースだなぁと思うことが違うわけで、みんなに何かを伝えること自体が難しくなっているように思いました。もしかすると、ニュースが同じようなものになるのは、そういう世の中になったというより、そういうことしか伝えづらくなったということなのかもしれないとも思います。でも、それは伝えられる量も質も減るということを示しており、私たちは一瞬逆行している状態に入っているような気がします。私がweb2.0というものに出会ったとき、これって、もう一回ベーシックアサンプションを作り直す作業(そして、伝えられる量と質を増やす作業)なのではないかと思ったことがあったわけですが、世の中そんなふうにはまだ変わっていっていなくて、それはゆっくりにしか進んでいない(ように見えてしまう状況になっていると思います)。結局、本気でベーシックアサンプションを作り直す作業をしようと思うのならば、Web3.0が必要で、それは、2.0が作った作り直し作業を表面化させるという作業になるのだと思います。いわゆる編集力ということです。そして、2.0ではgoogleが私たちの作り直し作業を追っかけてくれたという意味で必要とされたように、それとは全く別の編集機能を持つ第三者的立場のツールが3.0を作っていくような気がします。とも思ったけど、実は本来は必要なベーシックアサンプションがちゃんとあればいいわけで、そうであれば、そんなツールいらないって話もあったりはします。(でも、現実には今はそれがないから、やっぱりそんなツールも必要なんだろうなとは思うのですが。ただ、それがインターネットの中に閉じるものなのかと言われると、意外にそうではないのではないかと思う側面はあります。ということは、Web3.0という言葉が間違っていることになりますが。)
ただ、こうは書いてみたものの、これって、ベーシックアサンプションの多い日本の話であって、海外は全然事情が違うとは思います。だから、3.0の方向性は、どこの国でも同じということにはならないかもしれません。ベーシックアサンプションがもともと少なければ、編集の意味合いは個人にしか紐づかないということになるような気がします。



だいぶ話はそれましたが、最後は本の話に戻ります。この本を読んで、一番印象に残っていることは、フロイトとかエリクソンとかが提唱していた、アイデンティティとかエディプスコンプレックスとかが、結局彼らがユダヤ人だったからそういうものが出てきたのだという解説です。私は今まで(本当に今更ですが)それを知らなくて、基本的にフロイトとかエリクソンとかの言うことは感覚的に納得できず、彼らの論よりユングのほうが全然共感できるとか思ってました。でも、私たちと彼らの間には全く違う部分があるということを知ったら、アイデンティティとかエディプスコンプレックスとかも納得できるようになりました。(とはいっても、感覚的に納得したわけではなく、そういう見方を許容できるようになった、ぐらいのことですが。)このことを通して、私は、もっと自分たちのベーシックアサンプションに自覚的でなければならないと思ったわけですが(相手は全く別の事情の中にいることを理解するために、ということです)、そうなることに対して、3.0が手伝ってくれるかもしれないということに、少しだけ希望を感じて、この辺で全くレビューになっていないレビューは終わりにします。



最後に一言でまとめると、心理学をかじっていたときに出会っておきたかった本。それと、もったいないから、再販してほしい本。です。



*知ったきっかけ:アマゾンでまったく別の本を探しているときに、レコメンデーションに入っていた。
*買ったきっかけ:アマゾンではないところで(インターネット上で)書評を読んでいて興味を持った。もともと、著者のおふたりの本が好きだったのもある。
*買った場所:アマゾン(マーケットプレイス